■盗難保険入れないオートバイ?30年前生産終了(YOMIURI ONLINE 9/7)


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120906-OYT1T00881.htm

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小ネタで恐縮ですが、何だかすごいなぁという話。「盗難が多すぎて盗難保険に入れない」って、盗難保険は盗難にあった時のためなのに・・・。



ホンダのオートバイ「CBX400F」は当時の販売価格が48万円、今は状態の良いもので500万円。平均でも150万円ですから、「盗難する側」としては「美味しいターゲット」ということになるのでしょうか。



写真を見ても素人には分からないんですけどね・・・。



価格は発売当時の10倍、盗難に合う割合は他の一般車種の3倍。損保会社から盗難保険への加入を拒否されるというのはたいした人気です。作り手としては「冥利に尽きる」感じでしょうか。



それとも、結果盗難に会うオーナーが増えてしまうのは、申し訳ない気分もある、痛し痒しの状態でしょうか・・・。

■「放射能地域の人、結婚しない方が」公益法人会長が講演(朝日新聞デジタル 8/29)


http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY201208290581.html

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一般向けではなく、議員向けの講演会だったようですが、県名まであげて「奇形児が生まれる懸念がある」と話していたという、流石にひどいかな、という話。出席していた議員が抗議したことで騒ぎが大きくなり、当人は「差別する意図はなかった」と話しているそうです。



より詳しくは、県名まで名指しされた福島県福島民報の記事により詳しく載っています。



■生態系協会長 発言認める  「差別と思っていない」福島民報
8/30)


http://www.minpo.jp/news/detail/201208303361



差別はセクハラと同じで「する側の意図」は関係ないので、当人が何を言おうが差別は差別だろうと思いますが、実は気になったのは別の部分。



朝日新聞の記事ではそこまで分りませんが(有料部分を読めばわかるのかもしれませんが)、福島民報を読むと、そもそも意図に関係なく発言自体に問題がある事が分かります。



それを端的に示しているのが、放射線医療の専門家によるこのコメント。



「一般論では専門家が一般の人を対象に説明する場合、国際的、科学的にコンセンサスを得られた事項を基に話をするべきだ」



つまり、地域云々、差別云々に関係なく、そもそも話の内容として適切だったのか、という問題がある訳です。



例えば今回の話が、特定の地域と結びつけない形の「一般論」として話されていたら、ここまで問題になることなく、「国際的、科学的にコンセンサスを得られ」ていない話が、そのまま聞いていた人たちに浸透してしまったかもしれません。



その時に、今のご時世で「心の中で」結び付けないで考えるという事があるでしょうか。それはより深刻な差別を呼び起こしてしまうでしょう。



実はこの部分が重要な気がします。差別発言は、その意図のない単なるうっかり発言だったとしても、ベースとなっている部分については、はっきりその意図を持っており、これまでも、そしてこれからも、この方は同様の主張を続けるのではないかと想像されるからです。



もちろん、コンセンサスとは異なった意見や個人的見解を排除するべきではありません。自らの主張として訴えるのは自由でしょう。が、それはそういった意見であることがきちんと聞き手との間で合意できていて成り立つ事ではないか・・・そんな気がします。

■花火大会後の清掃活動「なぜ職員だけ有償」 鳴門市、指摘受け方針変更(徳島新聞 7/22)


http://www.topics.or.jp/localNews/news/2012/07/2012_134293516532.html

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地方紙ですが、一部話題になっていたのでご存知の方もいるかと思いますが・・・。



鳴門市が花火大会の後に毎年行っている清掃活動に、市民にもボランティアでの参加を呼び掛けたところ、これまで職務として行っていた市職員も、無償での参加を強制されるようになってしまった、という話です。

(最終的な顛末は不明ですが・・・。)



(鳴門市のウェブサイトにある呼びかけはコチラ)

http://www.city.naruto.tokushima.jp/itwinfo/i2425/



市民からの抗議がきっかけとの事ですが、やや気になる点が二つほど。



まず、記事には「例年は、職員と作業を委託したシルバー人材センターのスタッフらが作業に当たってきた」とあります。

そのうち、職員については無償となってしまった訳ですが、委託されていたシルバー人材センターの方はどうなってしまったのでしょう。



1.ボランティアで参加する事になった

2.委託されなくなった



どちらにしても人材センターとしては打撃です。一方、市としてはコスト削減につながるのでウホウホでしょう。



もう一つは、そもそもの市民からの抗議の出所です。このように書いてあるのです。



「直接の指摘は寄せられていないものの、市は徳島新聞の取材で市民の間に疑問の声があることを把握。」



つまり、「徳島新聞の記者から取材を通じて聞いた話」が出所なのです。



・・・いやそれって良いのですか?



もちろん、マスコミの役割の一つにそういった機能がある事は確かでしょう。あるいは、そうした声を届けるというところまでは良いのかもしれません。



しかし、そもそもこの鳴門市からの呼びかけは、「ボランティアを使って清掃活動のコストを下げよう」ではなく、「様子を知ってもらって捨てる人を減らそう」という事の筈です。



そして、仮に前者が真の目的だった場合、これまた市としてはウホウホな結果という事になります。何しろこれまで有償としていた職員に「市民の抗議だから」という「無償にする理由」を突きつける事ができるからです。

(でも「参加しなくてよい」という話には絶対にならないはずです。何しろそんなことをしたらまた「市民からの抗議」が届くに違いないからです。)



ああ、これはもしかしたら鳴門市の思惑に徳島新聞がのせられてしまった結果なのかも・・・そんなことを考えてしまいました。

■渋谷駅はなぜ1日280万人をさばけるのか(日本経済新聞 7/19)


http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1800L_Y2A710C1000000/

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ローカルネタでしかも時事ネタでもなくて恐縮ですが・・・。



記事にもあるようにまさに「ダンジョン」ともいえそうな渋谷駅。

迷わずに目的の路線のホームにたどり着ける方にはどうでもよいことかもしれませんが、全体像を頭の中で把握できる方は少ないのではないでしょうか。



記事の中で目を惹いたのが、この記述。



「多分このルートの利用者こそ、自分が毎日9階層分のビルに相当する上下移動を行っている認識はないであろう。」



さて、何線から何線への乗り換えでしょう・・・というのは記事を読んでいただくとして、普段使っていないのに読まずに分ったらまさに「ダンジョンマスター」と言えるかもしれません。



ちなみに1日280万人というのは、東京の駅の中では新宿、池袋に次いで3番目ということで、上には上がある訳ですが、駅としての複雑さでは渋谷駅の方が上のようです。とはいえ、記事の中でも触れられていますが、パリの人口が約220万人だそうで、どんだけ多いんだよ!という感じでしょうか。

(ちなみに1位新宿は364万人でギネス認定された世界一・・・。)



さて、ここで問題です。



迷宮のようにつながっていると言っても、部分的には屋外に出る必要もある各線の入口。少々の雨なら良いですが、土砂降りの場合はなるべく屋根のあるルートを使いたいものです。



会社からJRをはさんで反対側にあるのが京王井の頭線ですが、そこから「まったく雨にぬれることなく(つまり一度も屋外に出ることなく)」会社に最も近いメトロプラザ出口(最近できたヒカリエ出口の方が近くなったという話もありますが)にたどり着くルートはどんなルートでしょう。



頭の中で思いついたら、少しは渋谷駅「ダンジョン」に慣れ親しんでいるという事かも?

■米ではフォアグラ禁止へ 加州「残虐」、シェフらは反発(asahi.com 6/26)


http://www.asahi.com/international/update/0625/TKY201206250280.html

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日本でのレバ刺し禁止は食のリスクの問題ですが、こちらは動物愛護の話。カリフォルニア州でフォアグラの生産や販売が「飼育方法が残虐」という理由で禁止されたそうです。



命をいただく、という点では変わりませんが、そんな場合でも虐待はいけない、ということになるでしょうか。命への感謝という事を考えればそれほど不自然ではないかもしれませんが、見出しにもあるように反発もあるようです。



記事では過去シカゴ市で同じような事があり、批判を受けて撤回されたという事も紹介されていました。



さて、そこでふと思ってしまったのは、霜降り肉を作るような飼育法は、こうした「残虐な飼育方法」にあたるだろうか、というもの。よく聞くのは、ストレスを与えない事が何よりも良い肉づくりにつながるといった話なので、「残虐」というイメージからは程遠いですが、少なくとも「自然」ではない訳で、そこを問題にされる可能性もあるかもしれません。

(というかフォアグラの場合もそういった飼育方法はできないんでしょうかね・・・。)



そしてもう一つ突っ込みたくなってしまったのは、この部分。



「フォアグラは、すでに欧州十数カ国などで生産できなくなっているが、販売禁止はまれ。」



ああ、他の国で育てられたものを食べるのまでは欧州でも禁止できないのか・・・というか、それって「目の前で飼育されるのでなければ良い」ということ?



実際問題として、そうした飼育をなくすためには、「作らせない」ことではなく「買わせない」方がより確実な訳ですが、そうした「消費サイド」にアプローチするのではなく、「生産サイド」にアプローチするというのは、手段として適当なのか、やや気になるところです。



そういった意味では、今回のカリフォルニア州のようなやり方の方が、より正面からの投げかけではありますが、シカゴの二の舞になってしまうのか、何かうまい解決を見出すのか、ちょっと興味がありますね。

■スカイマークに都消費生活センター抗議「苦情押しつけ」(asahi.com 5/31)


http://www.asahi.com/national/update/0605/TKY201206050535.html

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スカイマーク、乗客へのサービス方針を示した際に、「機内での苦情は一切受け付けません」として、苦情がある場合は、同社のお客様相談センターか消費生活センター等に連絡してください、としてある事に、消費生活センターが「苦情」を訴えた、という図式でしょうか。



参考までに、こちらで問題となったサービス方針が紹介されています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120605/232989/



記事で問題になっているのは、8項目あるうちの最後の項目。確かにそのように書いてあります。この項目だけでなく、サービス方針として「サービスはしません」というトーンで打ち出しているのはユニークであると同時にある種乱暴な感じもあり、物議を醸すのは仕方ないといえば仕方ないかもしれません。



とはいえ、実際に利用してみたら、印象が変わるのかもしれませんが、個人的にはこの取り組み、というか「投げかけ」はありだと考えています。



理由は一つ。「モノだけでなくサービスに対価を払う社会にならなければ、先進国がこれ以上成長していくのは難しい」と考えるから。



以前マクドナルドが「スマイル0円」という広告をしていたことがありますが、ハンバーガーの価格だけでなく、スマイルでも対価を得られてこそ「サービス」産業でしょう。それを含めて高いと思うのであれば、買わないのも選択の一つですが、無形の何かの価値を明確に認知し、対価を発生させることができるようになれば、資源がなくても利益を得て成長していく事が可能になります。



そういった意味では、スカイマークは次のように投げかけても良かったかもしれません。「客室乗務員による荷物の収納は○○円です」「丁寧な言葉を使って対応した場合サービス料を加算します」「苦情は有料で承ります」・・・。

もちろん、これはさすがに言葉としてもショッキングなので、そうは言っていませんが、ようはそういうことだと思うのです。





さて、記事にある消費生活センターからの抗議ですが、個人的には本末転倒だなと考えています。なぜなら、消費生活センターがそうした声を受け付けるのは、企業の代わりに苦情処理をするためではなく、消費者と企業が直接やり取りをした場合に、その力関係から消費者が不利になってしまうような事を防ぐためにあるからです。



そういった意味では、スカイマークが言っているのは「すべて出るところに出ていただいて結構です」という事であり、消費者保護を使命とする消費生活センターとしてはむしろ歓迎すべき話ではないでしょうか。





・・・もっとも、消費生活センターでも保護するに値しないと考えるような苦情しか寄せられない実態というのがあるのかもしれません。

■「助けて」1日2万件、死にたい・食べてない?(YOMIURI ONLINE 5/31)


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120531-OYT1T00681.htm

※リンク切れはご容赦願います。



重い話題で恐縮ですが、3月からスタートした無料相談ダイヤルがパンク寸前になっているというニュースがありました。

東日本大震災後の社会不安の高まりを受けて設置されたというこのホットライン。記事では「深刻な悩みも多く、厳しい世相を反映している」と紹介されています。



1日約2万件の電話に対して、つながるのは約1200件程度というのは、もう少し増強できないものかと思いますが、個人的にはこうした「相談が寄せられる」というのは、必ずしも悪いことではない、という気がしています。



もちろん、悩みがない世の中になるのが理想ですが、それはあくまでも理想論。悩みがあるのであれば、一人で抱え込むのではなく、相談できる社会にするというのが大切でしょう。



これまでは、「相談したいけど人には言えない」「どこに相談したらよいか分からない」「こんな悩みを相談するのは気が引ける」と、自分の中に溜め込んだ挙句・・・といった事も少なくなかったのではないでしょうか。

(多分、今でもまだまだ多いのではないかと思います。)



悩みがあれば吐き出す。それがどんな些細な事でも、むしろ些細な事でも相談できる雰囲気があるからこそ、深刻な悩みも抱え込まずに相談できるようになるのではないか。そんな気がするのです。



そんな訳で、このホットライン、やや不謹慎かもしれませんが、さらに税金をつぎ込んでも良いので、もっと活発になれば良いと考えています。むしろ「些細な相談はやめよう」といった論調にならないだろうかと、心配しています。