■「放射能地域の人、結婚しない方が」公益法人会長が講演(朝日新聞デジタル 8/29)


http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY201208290581.html

※リンク切れはご容赦願います。



一般向けではなく、議員向けの講演会だったようですが、県名まであげて「奇形児が生まれる懸念がある」と話していたという、流石にひどいかな、という話。出席していた議員が抗議したことで騒ぎが大きくなり、当人は「差別する意図はなかった」と話しているそうです。



より詳しくは、県名まで名指しされた福島県福島民報の記事により詳しく載っています。



■生態系協会長 発言認める  「差別と思っていない」福島民報
8/30)


http://www.minpo.jp/news/detail/201208303361



差別はセクハラと同じで「する側の意図」は関係ないので、当人が何を言おうが差別は差別だろうと思いますが、実は気になったのは別の部分。



朝日新聞の記事ではそこまで分りませんが(有料部分を読めばわかるのかもしれませんが)、福島民報を読むと、そもそも意図に関係なく発言自体に問題がある事が分かります。



それを端的に示しているのが、放射線医療の専門家によるこのコメント。



「一般論では専門家が一般の人を対象に説明する場合、国際的、科学的にコンセンサスを得られた事項を基に話をするべきだ」



つまり、地域云々、差別云々に関係なく、そもそも話の内容として適切だったのか、という問題がある訳です。



例えば今回の話が、特定の地域と結びつけない形の「一般論」として話されていたら、ここまで問題になることなく、「国際的、科学的にコンセンサスを得られ」ていない話が、そのまま聞いていた人たちに浸透してしまったかもしれません。



その時に、今のご時世で「心の中で」結び付けないで考えるという事があるでしょうか。それはより深刻な差別を呼び起こしてしまうでしょう。



実はこの部分が重要な気がします。差別発言は、その意図のない単なるうっかり発言だったとしても、ベースとなっている部分については、はっきりその意図を持っており、これまでも、そしてこれからも、この方は同様の主張を続けるのではないかと想像されるからです。



もちろん、コンセンサスとは異なった意見や個人的見解を排除するべきではありません。自らの主張として訴えるのは自由でしょう。が、それはそういった意見であることがきちんと聞き手との間で合意できていて成り立つ事ではないか・・・そんな気がします。