■脱原発票 無駄にするな 3・11後の混沌 民意受信する回路を(東京新聞 11/19)


衆議院が解散し、来月には衆院選という事で、政治の世界が慌ただしくなってきています。今日22日のニュースでは、自民党政権公約を発表していますが、さて、私たちはどのような政治家を選ぶのでしょうか。



新聞も様々な選挙に絡む記事を掲載していますが、そんな中で東京新聞が1面トップに掲載した記事の内容が気になりました。



気になるのは「民意受信」という言葉です。



脱原発云々とは関係なく、いわゆる政治が「民意を反映していない」という批判に対して、個人的にはその「民意」って何?と突っ込みたくなる気持ちがあります。



何が「皆の意思=民意」であるかを判断するのは、非常に難しい事です。

今の政治が「自分の意思」を反映していないことは、私自身もそう感じていたりしますが、その自分の意思が皆の意思であるかはまた別の話。



議員というのは代議士、つまり自分の代弁者です。選んだ責任は自分自身にあり、意思を伝える責任も自分たちにあります。



民意を受信する機能が低下している・・・というのが、先のキーワードの主旨でしたが、それはすなわち「自分たちの考えを政治家は汲み取って政治を行うべき」という発想につながります。

そうではなく本来問題にする必要があるのは「市民はもっと政治家に考えを伝えるべき」すなわち、市民の発信能力ではないかという気がするのです。

(その目に見える証が、低い投票率でしょう。)



とはいえ、記事そのものは「民意を吸い上げるべき」というまとめ方ではなく、「自分達の主張を束ねれば政治に反映させられる」という結論になっています。



そうした「政治活動」がきちんと行われるようになり、その妥協点にある結果が「民意」と考えれば、「民意を反映していない」というのは、「自分の意見が通らなかった」事への悔し紛れにしかならないよね・・・そんな風に思うのです。



さて、次の「民意」を作るのは、どういった意思なのでしょうか。