■小中学生の留年をめぐる諸々(YOMIURI ONLINE 2/22 & 毎日jp 2/23)


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120222-OYT1T00501.htm

http://mainichi.jp/life/edu/news/20120224k0000m040078000c.html

※リンク切れはご容赦願います。



大阪市の橋下市長が教育委員会に検討を求めた、目標の学力水準に達しない小中学生の留年。一方OECDは、留年の廃止を求める提言を出したそうです。



留年側の言い分は「学んだかどうかに関係なく進級させることで、かえって子どもたちに害を与えてしまっている。理解できない子にはわかるまで教えるのが本来の教育だ」というもの。



一見納得できる道理ですが、そもそも「分かるまで教え」「留年もさせない」のが教育に求められる責任や考え方であって、「分からないのは子どもの問題」であるかのような姿勢にはやや疑問を感じます。

(義務教育ではない高校生以上であれば、ある程度「自ら学習する責任」を求められるとは思いますが・・・。)



一方OECDの言い分は「コストがかかるうえ教育成果の引き上げでも効果的ではない」というもので、コストを挙げているのが「経済協力開発機構」らしいでしょうか。



こちらは小中学生に限った話とは書いてありませんでしたが、初等中等教育における調査の結果のようなので、大体対象となる子どもは重なっていると考えてよいでしょう。

もちろんコストの話だけでなく、その他の欠点として「学習到達度の生徒間格差の拡大、自尊心への悪影響、問題行動に出る傾向を高める」といった事が挙げられています。



さて、意見は様々ありそうなこの問題ですが、個人的には留年という考え方には反対です。理由は同年齢での学習到達度の格差よりも、年齢が違う事による体力格差が大きな問題となりそうだから。



今でも覚えていますが、小学校に入学した頃、上級生は見上げるような巨人(大人とは違った意味で)に感じられました。特に小学生の場合、同じ学年でも早生まれと遅生まれでは大きな差があるのに、年齢まで違った場合、その差は想像を絶する気がします。



加えて、自尊心への悪影響や、問題行動に出る可能性が高いとなれば、起こりうる事態は誰もが容易に想像できるものでしょう。年齢という経験は重ねていますから、勉強はできなくてもより狡猾な立ち回りをする可能性もあります。



そもそも小学校や中学校は、学力だけでなく、社会性を身につけるための場でもあります。子どもを信じていない、と言われればそうかもしれませんが、そのあたりを橋下氏や尾木氏はどのように考えているのでしょうか。



子どもがいるわけでもないのに、とっても気になってしまうのです。