■揺らぐ口コミの信頼性、「やらせ」排除へルール化急務 (日本経済新聞 1/19)


http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819499E3E5E2E1998DE3E5E2E3E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2

※リンク切れはご容赦願います。



またも口コミネタで恐縮ですが、「ステマステルスマーケティング)」という言葉もずいぶんと見かけるようになってきました。



ただ、冷静に考えると、こうした「口コミサイト」でのやり取りはそもそも「口コミ」なのか?という疑問がわいてきます。



リアルな世界での「口コミ」を考えてみましょう。

多くの場合の、その情報伝達は「知っている人」同士のやり取りです。Aさんが知り合いのBさんに話し、Bさんが(Aさんの知らない)Cさんに話し・・・という形で伝播していくのが口コミの基本形ですが、それぞれのタッチポイントに置いては知り合い同士である事が前提でしょう。



多少例外的にパーティーなどでの初対面同士といったケースはあるでしょうが、それも場を共有した者同士であり、たとえば「電車の中での会話」を周囲の他人が聞いてそこから・・・というのは、口コミとは言わないはずです。



一方でネットの口コミサイトにはそういった「知り合い同士」という関係はありません。そういった意味では、実は先に挙げたような電車の中での会話や、街で見かけた行列、さらに言えばメディアによる報道などに近い気がします。



口コミにおいて、その情報の信頼性を担保しているのは、やり取りする者同士の関係から生まれる信頼感、特に発信者に対する受信者の共感にあります。情報の内容ではなく、関係性から生まれるのが「口コミの信頼性」でしょう。



一方、報道や行列というのは、「情報の正確性」「積み重ね」により信頼性を獲得します。報道は後からの繰り返しの検証、行列は何度も目にすることによって「確かそうだ」という信頼感につながります。



口コミ「サイト」が提供しているのは、有名な個人であれば報道のように、無名の多数であれば行列のように、積み重ねを経て「信頼できる情報になるだろう」という仕組みでしょう。



でもそれって元からある信頼関係を担保にした「口コミ」とは違うし、そもそもそれを「口コミ」なんて呼んでしまった事に問題があるんじゃないの・・・そんな事を考えてしまうのです。