■「就活長い」「卒論書かせろ」 大学生ら100人がデモ(asahi.com 11/23)


http://www.asahi.com/national/update/1123/TKY201111230310.html

※リンク切れはご容赦願います。



就職活動に追われる大学生らがデモを行ったというニュース。反韓脱原発など、最近こうしたデモの記事をよく見かけるような気がします。



それはさておき、ふとこのような事を考えてしまいました。



「高校生が大学受験ぶっ壊せデモをやっても、バカなこと言うな!と言われるだけだよなぁ・・・」



なぜそれが「バカなこと」なのかは、簡単です。

高校生の本分である「勉強」と、大学の「受験」はリンクしているもので、高校生活における勉強の成果が、受験の結果となって表れるものだからです。(少なくとも理念としては。)



一方で、大学生の本分である(とされる)「勉強」と、「就職」はリンクしていない。だから「勉強する時間を就活に奪われている。」となる訳です。



実はその「断絶」が就職活動の最大の問題ではないか・・・そんな事を考えました。就職活動ではなく、「卒業時の成績」で入社の是非を決める形になっていたら、話は違ってくるはずです。



以前(それも10年ぐらい前だと思いますが)読んだコラムに、「日本は学歴社会ではない」というものがありました。



「学歴社会というのは、卒業した大学やそこでの成績が、就職や就職後の評価に結び付く社会のことであり、実際の日本はそうなっていない」



そんな趣旨の内容でした。高い学歴が評価されない不遇への批判だったか、高い学歴があっても実社会で役に立たないという批判だったかは忘れてしまいましたが、日本は学歴社会である、という社会批判をまだよく耳にしていた頃だったので、印象に残っています。



乱暴な話ですが、日本が本当の意味での「学歴社会」になれば、今問題になっているような就活はなくなるという事はないでしょうか。



(そのかわり、まったく別の競争や格差が生じることにはなりますが、受験であれ就職であれ、競争であることに変わりはありません。就活における競争をなくせ、という議論にはおそらく意味がなく、その競争のルールをどう変えるかという事が、求められる議論なのだと思います。)