■日本の「被曝限度」は厳しすぎる 私が「月間100ミリシーベルト」を許容する理由(日経ビジネスオンライン 10/18)


http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111012/223166/

※リンク切れはご容赦願います。



世田谷区での放射能騒ぎは意外な結末でしたが、それはさておき、今回のこのようなコラムを紹介したのは、だから安全だし安心してください!という話「ではなくて」、どうも日本での議論は両極端に振れやすいのではないだろうか、という疑問を感じたからです。



安全か危険か、白黒つけて「どちらかに」身を置くことが優先され、自分とは異なる陣営を徹底的に非難したり、拒絶したりする・・・そんな気がするのです。



もう少しいえば、「違う意見があることに落ち着かない」妙な同調圧力が働いている、という事になるでしょうか。だから、異なる相手の意見に対しては、ヒステリックな反応になってしまったりする。



放射線被曝は、急性でない限りは影響が表れるのはしばらく後になります。(逆にいうと、「今」症状が出ていると感じているのであれば、累積被曝ではなく近辺にホットスポットがある事を疑った方が良いはずです。)

だから将来が心配になる。どうなるかがグレーだから不安を感じるのであって、どちらかがはっきりすれば(体はさておき)脳は安心を感じるようにできています。



「危険である」がはっきりしても、脳は行動が決められるので安心する訳です。問題はそうした白黒がつけられないグレーの状態で、脳がパニック状態にあるという事でしょう。



個人の判断が優先される社会であれば、個々の脳が違う白黒をつけても、大きなハレーションが起きにくいため、社会不安にまで至る事は少ないのかもしれませんが、今の日本を見ていると、社会のグレー状態が個々の脳をグレーに染めたまま、個々の脳での白黒ではなく、社会の白黒をつけようとしてもがいているように見えてしまいます。



実際には、個々がバラバラに白黒をつけるから、社会全体としては混ざっているからグレーなのですが、その状態が個々の脳にフィードバックされてグレーの状態に引き戻す・・・そんな圧力が働いているのではないでしょうか。