「休み時間に全員参加の遊び強制」 「はるかぜちゃん」明かす小学校の異様(JCASTニュース 5/18)

http://www.j-cast.com/2011/05/18095624.html?p=all
※リンク切れはご容赦願います。

休み時間に全員参加で遊びを強制・・・やらせる側としては「集団行動を身につけさせるためにみんなで遊ぼう」ぐらいのつもりかもしれませんが、「遊ぼう」と呼びかけて誘導するのと、ルールを作って「遊ばせる」のではかなり印象が違います。

記事内でコメントされているように、おそらく多くの人が「いくらなんでもこれはない」と感じるのではないでしょうか。でも、実際にはこうなってしまうのは何故か?

そんなことを考えてしまったのは、こんな記事のせいです。

起立しない教員は「クビ」 橋下知事、国歌斉唱で処分基準
http://www.j-cast.com/2011/05/17095803.html?p=all

これって、実は本質的にまったく同じことだと思いませんか?

この記事の中で一番気になったのは、実は橋下知事のこんな発言です。

「戦後教育の中でも最悪。国歌も歌わされたことがない」

本人が意識して言っているのか、気づいていないのか、橋下知事は自分自身にとって国歌は「歌わされる」もので「歌う」ものではない、ということを吐露してしまっているのです。

確かに「歌う」のではなく「歌わせる」「歌わされる」ためにはルールが必要です。皮肉な話ですが、橋下知事が主張するように「歌わされる」ためには、本人がどんなに「歌いたい」と思っていても「歌わせる」ルールがなければいけません。

・ルールを設けて休み時間に子どもを遊ばせる(遊ぶのではなく)
・ルールを設けて教師に国歌を歌わせる(歌うのではなく)

ああなんてそっくりな構図なんだ。なんだか国民性をあらわしているようでとっても気になります・・・。