日本テレビ労組、36時間スト入り 新賃金制度に反対(asahi.com 9/30)

http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY201009300103.html
※リンク切れはご容赦願います。

元々が高給と思われるテレビ局で「賃金引下げにつながる」というストは、傍から見れば贅沢な話のような気もしますが・・・それはさておき、日本テレビのストといえば9月の初頭にもありましたので、かなり強く対立をしているようです。(今年3度目らしい。)

ただ、気になってしまったのはこの部分。

「全職場が対象だが、生放送番組に出るアナウンサーなどを除外したため、放送には影響が出ない見通しだ。」

放送に影響が出ないストに、果たして効果はあるのでしょうか。影響が出ない人のストは取り下げて、影響が出る人だけに絞り込んでストをした方が、よほど意味があるのでは???

ただ、日本人の場合、職業的使命感から、「であればストには参加しないし、労組も辞める」などと言い出す人も出てきそうです。放送の場合、正直「見られなくて迷惑をこうむる」視聴者はほとんどいない(気にしない)のでは、という気もしますが、いずれにしても対立する当事者以外を巻き込むことに対して抵抗感があるというのは分からなくもありません。

そういえば、以前誰かが「フランスでは公務員ほどストをする」と言っていたのを思い出しました。日本的感覚では「公僕なのにけしからん」となりそうですが、フランスではそうではないようです。

その理屈は、「法律で(解雇されないことが)保証されている公務員だからこそ、モノ言う責任がある。下手なことを言えば解雇されてしまう一般企業の従業員にそれを求めるのは無理がある」といった話だったように思います。

つまりフランスでは、公務員が「労働者の代表」として、経営者にモノを言うことが、労働者全体の利益につながる、という考え方があるということでしょう。

ただ、ストが行われれば、当然サービスが提供されなくなり、そのサービスを享受する消費者が迷惑をこうむることになります。フランスではそういった事が受け入れられ、日本では(おおむね)そうではない理由は何なのか。

ふと思ったのですが、フランスでは労働者(公務員も含め)と消費者が同一に捉えられているから、一時の不利益も将来の利益として受け入れられるのに対し、日本では労働者と消費者が対立的立場に立っていて、お互いがトレードオフの関係になってしまっているのかもしれません。

ストによりサービスが停止した時に、サービスを享受するものが消費者として「迷惑だ」と捉えるか、(同じ)労働者として「仕方ない」と考えられるかで、ストの社会的な効果は決まってくるのかもしれません。