敬老の日、欲しいのはモノより会話 電通総研調査(asahi.com 9/16)

http://www.asahi.com/national/update/0916/TKY201009160469.html
※リンク切れはご容赦願います。

敬老の日に親世代がして欲しいことと、子世代がしたいことにはギャップがあるという内容ですが・・・

「いやいや、電話は普通にするとして、それ以外にプレゼントを贈るってことでは?」

などと思ってしまいました。さすがに「電話をする」だけってのはちょっとな〜と回答する側としては思うのですが、どうでしょうか。敬老の日にしたい事として電話をするというのは、ちょっと「答えにくい」選択肢ではないかと思うのです。
(質問が「していること」ではなく「したいこと」なのがポイント。)

もう一つ考えてしまったのが、会話を望む親世代は、会話(褒め言葉)ではなく、モノ(プレゼント)で子育てをしてきた世代なのでは?ということです。
いわば(言葉は悪いですが)しっぺ返しのようなもの。

何かのお祝いにプレゼント、という慣習自体、時代と共に作られてきたものではないかという気がしますが、祝うといえばモノを贈るというのが、子どもの頃の刷り込みだとすると、大人になってもやはり同じということになってしまうのではないでしょうか。

露骨な言い方をすれば、誕生日やクリスマスの記憶が「親からのプレゼント」にあるか「親と過ごしたパーティー」にあるかで決まってくるということでしょう。
(そういえば、このアンケートで言う親世代にあたる父が、祖母の誕生日に親族を集めた食事会を開いていたのを思い出します。彼にとって祝い事とは「パーティー」なわけですが、でもひるがえって自分の記憶をたどれば、やはり「プレゼント」ではなかったかという気がするのです。)

老後のわが子とのコミュニケーションは、現役時代の子どもの誕生日の過ごし方で決まるのかも知れませんね。
敬老の日に対比するならこどもの日?)


・・・ところで、一番気になってしまったのは、そもそも「敬老の日」というのは、社会としてお年寄り全体を敬う日であって、父母や祖父母といった身内を対象に「何かをする」日ではないのではないかということ。

考えてみたら、「敬老の日に贈り物」という考え自体、消費拡大のために仕掛けられた、企業のプロモーションの結果なのかもしれませんね。

Wikipedia 敬老の日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%80%81%E3%81%AE%E6%97%A5