「一番上司にしてはいけないタイプ」 長妻厚労相「役人いじめ」の中身(J-CASTニュース 7/29)

http://www.j-cast.com/2010/07/29072262.html
※リンク切れはご容赦願います。

読売新聞も一面で取り上げていましたが、こちらのほうが面白かったので・・・。

厚生労働省が職員を対象に実施したアンケートによると、「現実的なスケジュール感の観点から納得のいく指示が示されている」と思う職員はわずか1%だったとのこと。この話に限らず、記事では、

「職員に対し、ぎりぎりに来るのではなく、もっと早く来るようにと細かく指図する」
「大臣レクチャーのため、時間通り午前10時に来ても、2時間も会えないことがあった」

といった話が紹介されています。このアンケートは長妻氏自身の肝いりで行われたようですが、なかなか厳しい話です。

とはいえ、別に長妻氏を弁護する気はありませんが、この話をそのまま鵜呑みにして良いのかと感じてしまうのも事実。

まず、「現実的なスケジュール感の観点から」という点ですが、この厚生労働省の職員のいう「現実的なスケジュール感」は、「社会の求めるスケジュール感」と比較してどうなのでしょうか。当たり前ですが、多くの仕事は「自分のスケジュール感」ではなく「顧客のスケジュール感」にあわせて行うものです。

また「早く来るように指示」というのは、別に長妻氏に限らず上司であれば良く口にする話。そもそも世間の仕事術の多くが、朝活を薦めているご時世です。
さらに気になってしまったのが、そもそも3,000人以上の職員一人ひとりに、長妻氏が直接「細かく指示」をしたとは現実的にありえず、多くは組織的な伝達によるものでしょう。その時に「大臣がこのように指示しているから朝は早く来るように」という通達が流れたのだとすれば(そうでなければ「長妻氏に指示された」という受け止め方にはならないでしょう)、それは組織としてどうなのよ、と思ってしまいます。
(トップがそうしたことを言ってきた時に、内容によってはさらっと受け流すのも管理職の役割でしょう。伝達マシーンじゃないんだから。)

極めつけは2時間待たされた話です。トップの予定がずれるのはよくあることですし、2時間ずれたということは、その2時間別の用事で占有していた相手がいたということでもあります。まさかその間、その職員は「控え室で待っていた」訳ではないよな・・・と思いたいところですが、そうしたスケジュール調整はトップの問題ではなく、組織運営としてどうなのかということでしょう。
(「待たされた」・・・って、待つ間仕事しろよ、と言いたい・・・。)

もし「待つのが当たり前」という組織なのであれば、そうした体制こそ変革すべきであって、切り替わっていくことが前提となっているトップの責任にしてしまうのはどうなのか・・・と思ってしまうのです。