亀井金融相「消費増税、私がやらせない」 国債増発強調(asahi.com 5/17)

http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY201005170412.html
※リンク切れはご容赦願います。

消費税という税金は議論の多い税システムです。上がらなければそれはそれでもちろんうれしい一方で、それでは今の財政をどうするのか、という別の処方箋がなかなかでてきません。もっとも、消費税が魔法のカンフル剤になるわけではありませんが・・・。

記事の中で、亀井氏はこう言っています。

「一時的に借金するしかない」

一時的とはいえ、その借金は誰からするのでしょうか。「国債を買った人」でしょうか。表面上は確かにそうなのですが、それでは問題は見えてこない気がします。

国債に限りませんが、「借金」というのは、将来の自分あるいは子孫が返済するものであり、言い換えればそうした「未来」からお金を借りることです。一方、借金を返済するというのは、お金を借りた過去の自分や親にお金を返すと捉えることができます。

国債を増発して乗り切るというのは、つまるところ子どもたちに借金を押しつける、決定をするということなのです。そのことはもっと自覚される必要があるのではないでしょうか。もちろん、その上で「それでよい」という人もいるでしょう。亀井氏や彼を支持する人たちはそうなのかもしれません。

一方、同じような視点で考えると、消費税というのは、今時点の消費に対して税金を払うということですので、未来の子どもではなく、現在の自分が負担を担うということになります。子どもに負担を押し付ける国債よりはずいぶんましな感じです。

さらに言えば、一般的に「財産」にたいしてかけられる所得税は、過去の自分や親に借金をするということですので、実はこれが(せっかく稼いだものをとられてたまるかという執着心や感情面は別にして)もっとも合理的な資金調達方法なのかもしれません。理屈上「負担を押し付けられる人」はすでにいない過去の存在だからです。

今の誰かや、将来の誰かに押し付けるよりはずっといい・・・はずなのですが、「財産」として一旦自分のものになってしまうと、なかなかそうは考えられないのが人の性ということなのでしょう。


(最近、環境問題への対応も同じようなものではないかと考えるようになっています。「未来のため」と、さもすばらしいことのように言われていますが、実は「過去の負債」を返済しているだけなのをごまかされているのではないか、と。環境問題が「誰の借金か」ということを考えると、環境税などにしても、どの世代がどのように負担をしていくべきか、という議論がずいぶんと変わってくるのではないでしょうか。)