普天間問題 亀井金融相「国民の相当数はいかれている」

asahi.com 2/23)

http://www.asahi.com/politics/update/0223/TKY201002230464.html
※リンク切れはご容赦願います。

「国民の相当数はいかれてしまっている。犠牲を強いておいて自分は嫌だという」亀井金融相のこの発言だけを聞いたときには、「ならあなたの地元で受け入れたらいかがか」などと考えてしまったのですが、記事の詳細を読む限りでは、そうした「受け入れない他県の人間」を批判したというより、だから結局県内移設しかない、ということを訴えたかったようです。

普天間基地の移転に関しては、様々な主張がぶつかっていて、最終的にはえいやで決めざるをえないとは思う(民主主義は議論を尊びますが、どうしても決着がつかなければ多数決というシステムに頼らざるをえません)のですが、「ではあなたの地元で・・・」と考えてしまったときにふと思ったのが、「無人島ではだめなのだろうか」というものです。

環境、という側面で見た場合はどこに移転しても負担はかかるのですが、社会、という側面で見るのであれば、人のいるところに移転するから軋轢が生じるのであって、無人の島であればそうした問題は起きにくいのではないか、というものです。
(実際には「基地を追いかけて」町が出来るかもしれませんが。)

たとえば、日本の最南端である沖ノ鳥島

島のサイズはもちろん基地が建設できるほどではありませんが、そこはおそるおそる護岸工事をするぐらいなら滑走路にして要塞化してしまえ、というわけです。沖ノ鳥島を日本の国土として考えるかどうかは議論が付きまとっていますが、アメリカに「日本の国土として」提供すれば、アメリカをバックにつけることが出来るか
もしれません。

あるいは、韓国と色々もめてしまっている竹島ではどうでしょう。これもアメリカを味方につけることが出来るかもしれません。(アメリカの方でそうした揉め事はごめんこうむるでしょうが・・・。)

そのあたりは極端な例としても、今人の住んでいるところに基地を持っていくのではなく、人のいないところに基地を作って、必要な人は追いかけて移住する、という方が抵抗は少ないような気もするのですが、どうなんでしょう。

(もちろん、そもそも基地があることの是非については別の話です。)