「首相は平成の脱税王」自民・与謝野氏が批判(YOMIURI ONLINE 2/12)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100212-OYT1T00613.htm?from=any
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今日の昼前の記事なので、あわてて「気にした」のがミエミエで恐縮ですが、鳩山首相のお金の問題に関しては、前々から世間をにぎわしていましたので・・・。

衆院予算委員会で、自民党の与謝野氏が首相の批判を行ったとかで、首相の弟である鳩山邦夫氏が参加するなど、色々と激しいやり取りがあったようです。

もちろん鳩山首相を擁護する必要はないのですが、なんだかなぁと思うのが、こうした批判が「個人への批判」になってしまっていて「システムへの批判」になっていないのではないだろうか、という点です。

小沢氏の問題もそうですが、やらなくてはいけないのは、彼ら個人の問題としてその「罪」を問い詰めるのではなく、そうしたことができてしまったシステムの問題として、ではどうすればできないようにすることができるか、という議論でしょう。

そういった部分がまったく見えてこない気がするのです。企業が品質事故を起こした場合「今回の事故が発生した構造的な原因はこうで、このように改善しました」というのが当たり前です。これを「この部署の○○さんに問題があったので懲戒免職にしました」と言われても、たいていの人は納得しないでしょう。そういった議論が、政治の世界にはないのではないか・・・そんな気がしてしまいます。

首相を「平成の脱税王」と批判するのは簡単です。なぜならそれは自分には関係ない「首相の問題」だから。
一方「こうした献金はできないようにする」という議論は難しい。なぜならそれは自分にも降りかかってくるかもしれない問題だから。

変な話ですが、「政治家」はそうした献金ができる仕組みを実は残しておきたいと思っていて、それがばれて明るみに出てしまい、社会の批判を招くような「へま」をした鳩山首相を責めているのかもしれません。

まさかこのまま個人の問題で終わりにする気はないでしょうね、と思いつつ、結局個人の問題として、仕組みの話はうやむやになるんだろうな・・・などと改めて考えてしまいました。

立法府というのは全体の仕組みを議論する場であって、個人の問題を追及するのは、司法の場でやることなんだけどなぁ・・・まぁ国会議員には不逮捕特権もあるので結局国会でやらざるを得ないのかもしれませんが。