経済3団体が雇用対策検討 経団連会長「ワークシェア選択肢」

2009年1月6日(第2週)



■経済3団体が雇用対策検討 経団連会長「ワークシェア選択肢」

(日経ネット 1/6)

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20090106AT1C0600K06012009.html

※ニュースサイトのため、リンク切れはご容赦ください。



ワークシェアリングというのは、過去にも議論されているが、大抵の場合は「総論賛成各論反対」で先に進まないそうだ。これはどちらかというと企業と労働者の問題ではなく、社会システム全体としての問題なので、「公共」という概念が薄い日本の社会システムでは議論が難しいのかもしれない。



(社会システムは「公」「私」「公共」の三要素で構成されるそうなのだが、日本では明治維新以降、公共の分野を「公」が担う社会システムを作り上げてきたため、「公共」セクターの力が弱い。ちなみにこの「公」というのは、政治分野の活動のことで、「公私混同」を「会社の活動と個人の活動」と勘違いしている日本では、実は「公」の部分からも目をそらされてしまっていたりする・・・本来は「政治活動」と「経済活動」を混同してはいけない、という意味で捉えるべきなのだ。)



さてこの「ワークシェアリング」だが、もしやるのであれば半端な延長線上ではなく、大幅で徹底的な改革をあわせた方が良いのではないか。一番よくないのは、ずるずると議論だけが続く定額給付金のようになることだ。



例えばこういうのはどうだろうか。



・マネジメントやホワイトカラーを対象にする(生産労働者は対象外)

・給与は日給月給制ではなく年俸制にする

・2ヶ月勤務して1ヶ月休むという勤務体系にする

・1ヶ月の休みの間の副業はこれを妨げない



マネジメントやホワイトカラーを対象にするのは、日本においては特に彼らの生産性の向上が課題になっていることと、1ヶ月休むという勤務のスタイルが職人的熟練を必要とする生産現場などには適さないと思われるからだ。



さらにマネジメントやホワイトカラーの生産性というのは、必ずしもその職務に従事していなくても磨くことができる。学校に通うといった方法もあるし、短期の「別の分野の」就労体験なども枠を広げる機会になるだろう。

(そのために「副業を妨げない」のだ。収入の補填をするために働くという選択もある。無職ではなく、会社に籍を置いた上で「社会的なワークシェアリングの枠組み」のなかで探すのであれば、今ほど難しくはないはずだ。)



その際に1日の中で何割とか、週に何日といった労働時間の削減では結局「休む」だけになってしまう。四半期に1ヶ月とか、年に3ヶ月といった長期の「休み」にすることが、自らを鍛えなおす機会に通じるのだ。(というか、そこでだらだら休んでいてはレベルアップも収入アップもしない。)



また、この「長期の休暇」は、会社側にしてみると「区切りをつけた業務への集中」に結びつけることができるとともに、「人に仕事がつく」ことを防いだり、「長く従事することによる気の緩みや不正」を防ぐことにもつながる。(銀行ではそういった不正を防ぐために、管理職は1ヶ月以上の連続休暇が義務付けられる、という話を聞いたことがある。)



ちなみに「ワークシェアリング」という場合、「ワーカー」ばかりが対象のような印象を受けるのだが、「マネジメント」や「エグゼクティブ」の「シェアリング」はないのだろうか。意外とそちらの方が進めやすいのではないか。管理職や役員には「労働組合」もないことだし(笑)