■ケータイ校内禁止令波紋

■ケータイ校内禁止令波紋
(読売新聞 12/5)

波紋を呼んでいる橋下知事の「ケータイ禁止令」だが、この問題は冷静に切り分けて考える必要がある。

「学校で使ってよいか」という問題なのか、それとも「子どもには必要なのか」という問題なのかだ。これを混同すると混乱するばかりで結局うやむやになるだろう。

そんなことを考えてしまったのは、読売新聞の記事で、写真のキャプションに「便利だが、いじめや犯罪の危険と隣り合わせのケータイ。果たして子どもに必要なのか・・・」とあったからだ。

学校で使ってはいけない、というのはTPOの問題だ。最近では企業でも個人の携帯の事務所への持ち込みを禁止しているところもあるし、実際問題として学校にいる間携帯電話を持っている必要はまずないだろう。
(そもそも親が子どもに連絡したければ、まず学校に連絡を入れるのが筋だ。授業中に子どもの携帯電話を鳴らす親がいるとしたら、何をさせに学校に行かせているのか、考えた方がよい。)

一方、「子どもに必要か」というのはまったく議論の内容が異なる。いじめや犯罪といった問題がある反面、安全の確認や緊急連絡に使うといった要素もあるからだ。

気をつけなければいけないのは、
「学校での利用禁止」=「子どもには不要」
という図式で議論をしてしまうことだろう。そういった意味では、メディアの報道や官房長官のコメントなどは、意図的かどうかは知らないが混同してしまっている節がある。

ちなみに、費用負担の問題はあるが、一番簡単なのは教室内を圏外にしてしまうような電波への干渉装置を取り付けることではないだろうか。「禁止」ではなく「圏外」にするということであれば、持ち歩いても少なくとも授業の邪魔をすることはない。

目的は「子どもは携帯禁止」ではなく「授業の進行を妨げるものは禁止」だと
考えれば、そういった手段もあるはずだ。例えばそれを各教室で教師が動作させられるようにすることで「はい、携帯はしまって、授業を始めます」という時間の区切りをつけることにも使えるだろう。
(日直など、子ども自身にやらせるのが一番効果的だが・・・。)

子どもに持たせるかどうか、という問題は、これとは切り離して考えるべきだ。ただ少なくとも、電車の中であれだけ携帯を眺めている(自分もそうだが)大人たちに、「子どもだから」という理屈だけで子どもを納得させることができるとは到底思えないことだけは承知しておいた方が良いだろう。