■マスコミは奥田発言を恐れるな
毎日新聞 11/25)

記事ではなく投書欄なのだが、その前の週にあったマスコミの厚生労働省たたきに対する「奥田発言」の記事は実は自分も印象に残っていた。
(ただ、厳密には年金報道への批判だったような気がするのだが・・・。)

ただ、この投書主が言うような、

「発言には、金さえあれば何でも何でもできると思っている節がある。」

というものではなかった。そういう方向に「誘導したい」マスコミの意図は見えたのだが、それは違うだろうというのが個人的な感想だ。

むしろ問題にすべきは、奥田氏の発言を恐れてしまうようなメディアの経営基盤ではないか。マスコミに「恐れるな」と言ったり、奥田氏に「けしからん」と怒る前に、なぜマスコミが奥田氏の発言を恐れるのか、その構造を何とかするべきであって、そうした議論がでない方がおかしいぐらいだ。

記事を読んだ限りでは、奥田氏は「取り上げるな」と言ったのではなく「過剰ではないか」と指摘をしただけだ。これは本来発言者が誰であってもメディアが真摯に受け止めるべき指摘だろう。

奥田氏の場合、個人としてはそれが「スポンサーを降りようかと思うぐらい」腹立たしかったという話で、結果つい口をついて出たのだろうが、それをスポンサーによるメディアへの圧力であるかのように結び付けて報道する姿勢にこそ問題があるということはないのか。本来問題として取り上げるべきなのは「指摘の中身」であって「指摘した人の立場」ではない。

もしスポンサーはメディアに何か言うべきではない、というのであれば、そもそもメディアはスポンサーを求めるべきではないのだ。この場合、まず批判されなければならないのは、広告に頼るメディアの姿勢であり、奥田発言を圧力と受け止めるのであれば、メディアの側からスポンサーを断る決然とした態度こそが必要だろう。

そういった意味では、指摘の内容についての注目をそらすと同時に「金は出せ口は出すな」と言うための記事だった・・・ということもできるのだ。
そもそも奥田氏が報道された内容「しか」話していないということはありえないということを考えれば、こうした記事は注意深く受け止める必要がある。

もちろん、奥田氏の発言が軽率だったといえば軽率には違いない。イメージダウンにつながるという意味でも、マスコミに意見するというのはリスクが大きいということが、改めて明らかになったとも言える。

今のメディアは「スポンサーであっても」意見することができない(ここで言うのは単に「発言する」ではなく「意思決定に影響を及ぼす」という意味だ)リヴァイアサンになりつつあるのではないか・・・そんな捉え方もあるような気がする。