「誰でもいい」連鎖 殺意の矛先

本当に誰でもよかったのだろうか。少なくとも、自分ではないし、身近な人でもない。そして「強い人」でもない。「誰でもいい」という発言からその異常性をメディアはうたっているが、無差別といいつつ、決して無差別ではないということをきちんと社会に問うことが必要な気がする。